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九州テレコム振興センター(KIAI)は内閣府認可の非営利型一般社団法人です

TEL. 096-322-0120

〒860-0016 熊本県熊本市中央区山崎町66番7号

会員向けWebマガジンKey-Eye

Key-Eyeとは?
 これからの九州の情報化推進に向け、ひとつの「鍵(Key)」となる、あるいは新たな「視点(Eye)」となる話題を提供していこうとする思いを込め、「Key-Eye」というネーミングにさせていただきました。

◆Key-Eyeあるメッセージ(ICT分野有識者による全4回のコラムを掲載)

【2026年度執筆者】
名古屋工業大学 名誉教授
岩田 彰 氏

2026年度「Key-Eyeあるメッセージ」は岩田様よりいただくこととなりました。
ご自身における永年のAI関連の研究活動に基づいた全4回のAIをテーマとしたコラムをいただきます。第二回は、ディープラーニング等がもたらしたAIの新たなブレークスルーをテーマとして寄稿いただきました。

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◆Key-Eyeあるトピックス(全国各地の様々なICT分野のトピックスを掲載)

特定非営利活動法人デジタルライフサポーターズネット
理事長 友次 進 氏

誰もがデジタル化の恩恵を受け、自分らしく暮らせる社会へ向け、人とデジタル技術・サービスの橋渡し役を担っているデジタルライフサポーターズネット(デジサポ)における様々な活動について寄稿いただきました。

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◆Key-Eyeある人(ICT分野で活躍されている産学官関係者の熱い思いを掲載)

「柴田 智広 氏」
九州工業大学 大学院生命体工学研究科 教授

人とAI・ロボットが自然に協力し、高齢者や介護者が安心して暮らせる社会実現を目指しておられる柴田氏より、当該研究開発の概要等について寄稿いただきました。

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「音成 亜美 氏」
旅館あけぼの 5代目・代表取締役


デジタル技術を活用しながら老舗旅館の経営改革に向けた取組みを進めておられる音成氏より、これまでの取組み経緯、今後の展望等について寄稿いただきました。

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◆Key-Eyeあるまちづくり(九州でのICTを活用した様々な地域づくりをご紹介)

「一般社団法人知財教育デザイン協議会(IPEDAL)」
代表理事 野田 佳邦 氏

生成AIをはじめとした高度デジタル技術進展の中、社会全体における「知財リテラシー」の更なる普及に向けた活動を進めておられる「IPEDAL」様の活動について寄稿いただきました。

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【主要活動報告(令和8年5月~令和8年7月)】

                   
「令和8年度通常総会/記念講演会」

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【ICT関連データ】


 各種統計データ


【編集後記】

ここ最近、生成AIを取り巻く話題の中心は、「AIエージェント」へと急速に移りつつあります。少し前までは、「生成AIにどのようなプロンプト(指示文)を入力すれば、より良い回答を得られるのか」といった活用方法が大きな関心事でした。しかし現在では、その状況が大きく変わり始めています。AIエージェントとは、人からの指示を待つのではなく、与えられた目的に対して必要な情報を収集し、状況を判断しながら複数の作業を自律的に実行していく仕組みです。例えば、会議の日程調整、資料作成、市場調査、システム開発、顧客対応など、これまで人が個別に判断しながら進めていた一連の業務を、まさに一人の「代理人」のように遂行してくれる存在と言えるでしょう。
つまり、生成AIの進展は、文章作成や要約、翻訳といった「情報を生成する技術」から、「業務そのものを実行する技術」へと、その役割を大きく広げつつあります。今後は企業だけではなく、行政、教育、医療、研究など、あらゆる分野でAIエージェントの活用が進展していくことは間違いないでしょう。
一方で、この進展は私たちに新たな問いも投げかけています。AIエージェントは、人の代わりに仕事をしてくれる便利な存在です。しかし、「人の代わりに行う」ということは、裏を返せば、人自身がそれを行う機会を失うということでもあります。例えば、自動車の普及により徒歩で長距離を移動する機会は減少し、電卓の普及によって暗算の機会も少なくなりました。同じように、AIエージェントが様々な判断や調整、分析を代行するようになれば、人がそれらを経験する機会も徐々に減少していくことになります。もちろん、そのこと自体が直ちに悪いというわけではありません。新しい技術とは、本来、人を単純作業から解放し、より創造的な活動へ時間を振り向けるために存在するものだからです。しかし、その一方で、私たちは「何をAIに委ね、何を人が担い続けるべきなのか」という視点を忘れてはならないと思います。便利さだけを追求した結果、人が本来育んできた思考力や判断力、さらには経験から得られる洞察力までもAIへ委ねてしまうのであれば、それは効率化とは異なる問題を生み出す可能性があります。
もう一つ、AIエージェントの進展に伴い、これまでとは異なる新たな課題も見え始めています。AIエージェントを高度化するためには、多くの場合、人が持つ専門知識や判断プロセスをAIへ学習させる必要があります。例えば、熟練した技術者が長年の経験によって培ってきたノウハウ、優秀な営業担当者が顧客との対話の中で身につけてきた交渉術、あるいは行政職員が制度運用を通じて蓄積してきた暗黙知など、それらをAIが模倣できるよう学習させることで、高度なエージェントが誕生します。これは社会全体として見れば、知識や技術を継承していくという意味で大きな意義があります。しかし一方で見方を変えれば、個人が長い年月をかけて培ってきた能力そのものがデジタル化され、本人とは切り離された形で再利用されていくことにもつながります。もちろん、組織の業務知識を共有し、属人化を防ぐことは重要です。ただし、それと個人が有する思考方法や判断能力までを無条件にAIへ取り込んでいくこととは、同じではありません。AIエージェントが普及する社会では、「誰の知識なのか」「誰の経験なのか」「その能力は誰に帰属するのか」といった知的財産や人格に関する新たな議論も避けて通れなくなるでしょう。AIエージェントは、人の能力を拡張する存在であると同時に、人そのものを映し出す鏡のような存在でもあります。だからこそ、その技術の可能性だけでなく、人の能力や権利との関係性についても、今の段階から慎重に考えていく必要があるのではないでしょうか。
もっとも、「代理人」という考え方自体は、決して新しいものではありません。古くは商人や使者、執事、秘書、弁護士、代理店など、それぞれが当人に代わった「代理人」として一定の役割を担うことで、人々はより高度で複雑な社会を形成してきました。なお、これはデジタル技術の世界でも同様です。「ソフトウェアエージェント」という概念が提唱され、利用者に代わって情報を検索し、処理し、必要な作業を自動化する仕組みが研究されるようになり、やがてそれはインターネットの進展に伴い検索エンジンやレコメンド機能として普及し、人は膨大な情報の中から必要な情報を探すという行為の一部をデジタルへ委ねるようになりました。近年ではRPAが定型業務を代行、生成AIが文章や画像、プログラムなどを代行生成、そして現在ではAIエージェントが複数の業務を自律的に代行する等、デジタル技術における「代理人」機能は大きく進展してきています。
こうして振り返ると、「エージェント」という仕組みは決して人から仕事を奪うために存在してきたのではありません。人が限られた時間や能力の中で、より多くの価値を生み出せるよう支援する存在として発展してきたものです。そして現在、その役割はこれまでになく大きくなろうとしています。日々、世界中で生み出されるデジタルデータは膨大な量となり、もはや人だけの力でそのすべてを理解し、判断し、意思決定していくことは、現実的ではありません。AI、AIエージェント等へ一定の役割を委ね、効率・効果的な業務遂行に基づくさらなる社会経済の発展を図っていくことは、高度デジタル社会を生きる我々にとってある意味必然とも言えるでしょう。
しかし、そういったデジタル技術に支えられた発展の一方で、私たちの社会は別のものを失いつつあります。自然環境、生物多様性、資源、そしてさらには言語、というものまでもが対象となっています。国連は、現在世界で話されている約7,000の言語のうち、2100年までに少なくとも半数が消滅、あるいは深刻な危機に陥る可能性があると警鐘を鳴らしています。それは単に言葉が失われるということではありません。その言語によって育まれてきた文化や価値観、さらには世界の捉え方そのものが静かに失われていくことを意味しています。デジタル技術は、多くの豊かさをもたらしてきました。しかし、その恩恵を享受するだけではなく、「何を残していかねばならないのか」という観点もまた、現在の私たちには求められているのかもしれません。
そのようなことを考えていると、近年、改めて関心が高まっている一つの作品を思い出します。それは、手塚治虫氏の『火の鳥 未来編』です。高度に進化したコンピューターが世界を統治し、人類は国家運営から日々の暮らしに至るまで、あらゆる判断をAIへ委ねるようになります。しかし、その均衡はやがて崩れ、AI同士の判断による全面戦争が勃発し、人類は滅亡への道を歩むことになります。ただ一人、生き残った主人公ヤマトは永遠の命を与えられ、数十億年という途方もない時間を孤独に生き続け、新たな生命と文明の誕生を見届けるという宿命を背負う、といったようなものがストーリーとなります。約60年前に描かれた作品でありながら、その世界観は、AIが急速に進展する現在だからこそ、改めて深い示唆を与えてくれるようにも思えるところです。本作の中で、滅びゆく人類に対して投げかけられる非常に印象的な問いがあります。「なぜ、人間は自分の頭で判断しなかったのか。」 この言葉は、AIを否定しているのではありません。人が「判断を委ねる」という行為は、人間という存在そのものにどのような影響を及ぼすのか。そのことを静かに問いかけているのだと思います。
AIエージェントの進展によって、私たちはこれまで以上に多くのことをAIへ委ねられるようになります。それは社会全体にとっても大きな恩恵となるでしょう。 ただし、私たちは一つだけ誤解してはならないことがあります。AIへ委ねられるのは、「考えること」ではなく、「考えたことを実現するための作業」であるということです。このことを業務という言葉で置き換えるならば、それは「作業を委ねる」ことであり、「仕事を委ねる」ことではありません。仕事とは、本来、「何を実現すべきなのか」を問い、その目的を定め、そこに価値を見いだし、人や社会との関係性の中で未来を構想していく営みです。その営みの中には、効率だけでは測ることのできない倫理や責任、さらには「どのような社会を次の世代へ残したいのか」という願いまでもが含まれています。
AIエージェントは、未来社会を支える極めて優秀な代理人となるでしょう。しかし、それは未来社会を運営する存在であって、未来社会そのものを築く存在ではありません。未来とは、単なる「効率の積み重ね」によって生まれるものではなく、人が「何を大切にしたいのか」「何を価値あるものとして残したいのか」という「意思の積み重ね」によって形づくられていくものだと思います。未来とは、与えられるものでも、最適化によって自動的に生まれるものでもありません。それは、人が自らの価値観に基づき、何を守り、何を変え、何を次世代へ託していくのかという意思の積み重ねによって築かれていくものです。
だからこそ、これからのAI社会において重要なのは、「AIに何を委ねることができるのか」という議論だけでなく、「私たちは、何をAIへ委ねずに残していくのか。」という問いなのではないでしょうか。AIに代理させることは、未来をより豊かにしてくためのひとつの手段です。しかし、その未来そのものを築くことまで代理させてはならないと思います。
「委ねる未来」と「築く未来」。
この二つを決して混同しないことが、AIエージェント時代を生きる私たちに課せられた、最も大切な責任なのかもしれません。 昨今のAIエージェント進展の中、ふとそういうことを思ってしまった次第です。

*これまでの編集後記(2016年度以降)


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