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Key-Eyeとは?
これからの九州の情報化推進に向け、ひとつの「鍵(Key)」となる、あるいは新たな「視点(Eye)」となる話題を提供していこうとする思いを込め、「Key-Eye」というネーミングにさせていただきました。
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【2024年度執筆者】 北海道大学名誉教授・総長特命参与 山本 強 氏 2024年度「Key-Eyeあるメッセージ」は山本様よりいただくこととなりました。最終稿となる第四回は、「ソサエティ5.0時代の新一次産業」というテーマにて寄稿をいただきました。 [記事全文はこちらから] |
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山口市 総合政策部 スマートシティ推進室 渡辺 詩織 氏 「誰もがいきいきと豊かに暮らせる持続可能なまち 山口~スマート“ライフ”シティ 山口~」の実現に向けた取り組みを進めておられる山口市様より、スマート推進室のとある1日の出来事を想定した内容にて、当該取組み概要をご紹介いただきました。 [記事全文はこちらから] |
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「神田 英司 氏」 鹿児島大学 農学部 准教授 気象データやリモートセンシングを活用した農業の見える化に取り組んでおられる神田氏より、現在の研究概要等に関する寄稿をいただきました。 [記事全文はこちらから] |
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「西ノ首 有里子 氏」 シビックメディア株式会社 代表取締役社長 デジタルソリューションの開発構築等に永年携わっていく中、テクノロジーの追及と精神的充実とのバランスを自身の新たなテーマとして捉えるようになった西ノ首氏より、当該取組み内容等に関する寄稿をいただきました。 [記事全文はこちらから] |
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「延岡市」 デジタル田園都市国家構想事業をはじめとした数多くの国プロジェクトの採択を受け、多様なDX推進策を展開している延岡市様より、これまでの取り組み概要と、フロントヤード改革をはじめとした今後の新たな施策展開について寄稿いただきました。 [記事全文はこちらから] |
「令和6年度九州電波協力会講演会」他3件 [詳細はこちらから] |
最近、久しぶりにインフォメーションヘルス(情報的健康)というキーワードに触れる機会がありました。この言葉自体はご存じの方も多いかと思われますが、その意味することを簡単にまとめると、進展していくデジタル社会がもたらす膨大な情報に対し、我々は、いかに心身ともに健康的にお付き合いできているか、ということになろうかと思います。SNSでの誹謗中傷や炎上による精神疾患、フェイクニュースに扇動された誤判断がもたらすトラブル、あるいはスマホ依存症による健康障害等々、デジタルという良薬がもたらす利便性等といった効能に対する一種の副作用ともいえるこのような事象に、私たちは日々直面するようになりました。
通常、私たちが健康的な毎日を送っていくため、日常的に気を付けていく観点としてまず思い浮かぶものとしては、以下のようなものが多いのではないでしょうか。
・食事内容のバランスに気を付ける(偏った食事とならない)
・食べ過ぎに気を付ける(時にはダイエット)
・定期的に健康診断を受ける
これをインフォメーションヘルスの側面からとらえると
・偏った情報源に依存しない
・過度なネット依存とならない
・自分自身としての客観公平な判断ができているかを定期的に確認
といったようなことになるのかもしれません。もちろん、インフォメーションヘルスに留意した生活を送るためには、上記以外の様々なアプローチはあろうかと思います。いずれにしても私たちは、多様な情報に対し、一定の節度を保ちつつ、良識(モラル)のある見解でもって向き合い、情報そのものに振り回されないことが大切ですよね。
さて、情報過多とも言われる現在のデジタル社会において、このようなインフォメーションヘルスという観点の重要性が増していくことは言うまでもないことなのですが、しかしながら我々は、この情報過多という、ある種多様なインプットを有しておきながら、そのアウトプットに関しては、果たして同様に多様性を持ち得ているのでしょうか。先日、『「好き」を言語化する技術[三宅
香帆 (著)]』という本を読んだのですが、この本は、何かを好きになった感情表現を「やばい」とかいうようなものだけで片付けてしまっている人が多い、SNSに代表される現在のネット社会に対する一種の警笛を鳴らしています。確かに、私もあるとき、とある飲食店でコーヒー片手に仕事をしていた際、近くにいた女子高生2人のスマホ画面を見つめながらの約1時間の会話の全てが「やばい!」「やばくない?」というたった1種類のキーワードだけ(他の言葉は全くない状態)で成立していることに驚いたことがありました。(1時間も耳を傾けてしまった自分自身もある意味やばいですが(笑)。)確かに「やばい」だけで、会話の大半が成立できるのであれば生成AIも楽ですよね(笑)。
本著書の中にある、『「好き」という感情は儚いから、鮮度の高いうちに言葉という真空パックに保存する。やがて「好き」の言語化が溜まってゆくが、それは気が付けば丸ごと自分の価値観や人生を記したものになっている。』という内容が個人的にはとても響きました。本著書に従い、「好き」を言語化するプロセスを簡単に解説すると、
・「好き」となった理由を細分化して考える(どのポイントが良かったのかを掘り下げて考えてみる)
・「好き」となった際、具体的にどういう感情が生まれ、そしてどうしてその感情を抱いたのかを考える
といったものになるようです。こういったプロセスは、「どうしてあのとき、あのような行動をとったのだろう」あるいは「どうして同じ過ちを繰り返したのだろう」、という私たちに良くありがちな事象を回避することにもつながってくるのかもしれません。つまり、「好き」という感情だけでなく、自身の大切な(重要な)判断、行動の理由等に関してもきちんと言語化しておく、ということです。日々感じた物事を単に写真や動画でSNSにアーカイブして終わり、ということに慣れ切ってしまっている多くの現代人にとっては、このようなプロセスは、中々難しい事柄になってきているのかもしれませんね。「好き」を言語化していくということは、元々アウトプットしていくことが難しいと思われる自分自身の価値観の言語化、要するに自身の価値観を自分自身で明確に理解していく、という術を日常的に実践していけるものなのだと改めて教えられた気がします。
多様な情報(インプット)が自身にもたらす結果を、このようにその結果に至る道筋まで含めて明確に言語化することができれば、例えば「好き」という一義的なアウトプットは同じであるとしても、その種類は多様に存在する訳で、そのバリエーションの多さがつまりはその人が有する価値観の幅でもあると思う次第です。本来、人は多様な価値観を保有していると言われつつも、それを具体的に表現できないまま、気が付けば画一的な価値観に埋もれていた、というケースに多々陥ってきているのではないでしょうか。情報過多の状況は、増々進展していくと思われますが、多様な情報(インプット)を活用し、人々がより豊かな社会生活を送っていくためには、やはり多様なアウトプット、つまり多様な価値観をいかに創出していくかが、大きな要因のひとつであると考えます。そのためにも、この言語化能力の重要性は高いのですが、この能力とは、つまりはものごとを客観的に捉え、論理的に思考していく能力であるとも言えると思います。DX社会進展の中、論理的思考力の重要さがクローズアップされてきていますが、改めてこの能力の大切さに気付かされます。
将棋棋士の羽生善治氏の格言に「何事であれ、最終的には自分で考える覚悟がないと、情報の山に埋もれるだけである。」というものがあります。気がついたら、自分自身は情報の山にどっぷりと埋もれたままで、アウトプットはAIに全ておまかせ、という状況になっていた、ということが日常化しないよう、情報的健康な日々を送りつつ、自身の見解に対する言語化(価値観の明確化)へのアプローチも忘れないようにしたいものです。 「好き」に理屈はない、「好き」だから「好き」なんだ、でもきっとそうなった理由(背景)がありますよね、決して「やばい」ものではなく(笑)。