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Key-Eyeとは?
これからの九州の情報化推進に向け、ひとつの「鍵(Key)」となる、あるいは新たな「視点(Eye)」となる話題を提供していこうとする思いを込め、「Key-Eye」というネーミングにさせていただきました。
【2024年度執筆者】 北海道大学名誉教授・総長特命参与 山本 強 氏 2024年度「Key-Eyeあるメッセージ」は山本様よりいただくこととなりました。第三回は、デジタル社会を支える「電力」に焦点をあて「運ぶべきは電力か通信か」をテーマとした寄稿をいただきました。 [記事全文はこちらから] |
総務省地域情報化アドバイザー NECソリューションイノベーター(株) 自治体DX事業推進室 エグゼクティブエキスパート 日本電気(株) スマートシティ営業統括部 シニアプロフェッショナル 大木 一浩 氏 永年、都市OSの開発、展開に携わり、当該分野における国内有数の見識を有する大木氏より、今後の自治体におけるDX、スマートシティ推進に向けての主要ポイント等について寄稿いただきました。 [記事全文はこちらから] |
「山崎 恭 氏」 北九州市立大学 国際環境工学部 情報システム工学科 教授 永年、「生体認証(バイオメトリック認証)」に関する研究開発に携わってこられた山崎氏より、これまでの取組みから現在の研究テーマ等、当該分野における研究開発活動全般に関する寄稿をいただきました。 [記事全文はこちらから] |
「高峰 由美 氏」 株式会社ブルーバニーカンパニー 代表取締役 インターネットビジネス黎明期に関連ビジネスを創業し、以後は経営コンサル等の業務を進めていく中、現在は「アート」を通じた新たな国際交流に取り組んでおられる高峰氏より寄稿いただきました。 [記事全文はこちらから] |
「一般財団法人 沖縄ITイノベーション戦略センター」 最先端のITイノベーションを活用する場や機会を提供することにより、沖縄県内産業界の課題解決と新たな価値創造を目指しておられる「(一財) 沖縄ITイノベーション戦略センター」様より寄稿いただきました。 [記事全文はこちらから] |
「第四回九州デジタル推進WG」他1件 [詳細はこちらから] |
ローマ字表記の方法が、約70年ぶりに見直すことになったことはご存じでしょうか。現在の表記方法は、昭和12年(1937年)の内閣訓令によるもので、50音に沿って「母音」と「子音」を組み合わせるいわゆる「訓令式」が基本ですが、一方、江戸時代末期に日本に訪れた米国宣教師ヘボンによって作成された「ヘボン式」も存在していました。太平洋戦争後、進駐したGHQによりヘボン式を採用する指令が出されたこともありましたが、我が国が主権を回復した後は、再び訓令式を基本とし、ヘボン式は限定的に使うことと定められたため、この方針が今日まで続いてきた次第です。(なお、皆様ご存じの通り、パスポートの氏名のローマ字表記に関してはヘボン式となっています。)訓令式とヘボン式との表記の具体的な違いの例として、例えば「し」は訓令式では「si」ヘボン式では「shi」といったように、一般的に、ヘボン式とは発音に近い表記になっています。さて、この見直しの取組みに関してですが、正直、個人的にはどちらでも良いなぁ、と思ってしまう次第でして(笑)、要するに日本語のローマ字表記とはそもそも誰のために必要なのか、と考えると自ずから答えは明確なのでは、と思うところです。今のところ、ヘボン式を基本とする、という方向での見直しが進められているようですが、まぁ、日本語をローマ字で判読しなければならない立場の方を考えると、そういうことになるだろうな、とは思います。
さて、上記のような検討が行われる背景としてあるのは、(ある意味当たり前のことですが)我々のコミュニケーションの大半が「言葉」「文字」に依存している、ということによるものだと考えられます。言葉、文字とは、我々人類が産み出した大変大きな価値(創造物)であり、これにより我々人類は地球上の他の生命体とは異なる高度な文明社会を構築してきたともいえるでしょう。このような素晴らしい成果をもたらした言葉・文字ですが、果たして全てにおいて万能なコミュニケーションツールとして成立しているのかというと、そうでもないという側面も持っているのではないかと思う次第です。例えば、どのように明確な言葉・文字でもって説明したとしても、その真の意図が相手には確実に伝わりきれない、という現象を、多くの人が経験したことがあるのでは、と思うところです。そもそも我々人間は、一人一人それぞれ独自の感情・感覚を有している存在であり、いかに万能な言葉・文字とはいえ、それらの存在を全て完全に網羅しうるコミュニケーションツールとまではなりえないだろうと考えられます。
そこで、この言葉・文字を補完するツールとして、我々が時々活用しているものがあります。それは、実は、言葉・文字の誕生前から存在しているコミュニケーションツールでもある「絵」「記号」といった類のものです。その一例として、「ピクトグラム」という名称を聞けば、みなさんもすぐに想像できるのではないでしょうか。我々が良く目にするトイレ、非常口等のサインとなっているものです。このピクトグラムのおかげで、言葉・文字が異なる地域に行ったとしても、誰もが男性トイレ女性トイレの違いがわかる、非常口の場所がわかる、といったことが可能になります。現在使われているピクトグラムは、実は日本が発祥で、発端は昭和39年(1964年)開催の東京オリンピックのようです。当時はまだ今のように社会全体に英語が普及していない状況のようで、海外から訪れた人々に対し、一目ですぐに理解してもらえるようなものが必要とされた結果、国内の若手デザイナーが集結し、各種デザインが考案されたようです。その際、各デザイナーの方々がこのデザインの社会的意義を理解し、全員「著作権」を放棄したことが、現在のピクトグラムの世界的拡充につながった、とのことです。メールのやりとりで良く使われる「絵文字」も、同様に言葉・文字を補完する代表的な例のひとつではないかと思われます。絵文字は、もともと、NTTドコモが1999年に誕生させた携帯端末機でのインターネット接続サービス「iモード」に搭載されていたもので、これも日本発祥です。絵文字はその後、多様な進化を遂げ、現在ではLINEのスタンプのようなものにまで発展してきたところです。ピクトグラムは、文字・言葉の壁を越えた共通的コミュニケーション成立に大きな役割を果たしたことに対し、この絵文字というのは、文字・言葉だけでは伝えきれない人の感情というものを補完する(あるいは文字・言葉に変わって明確に感情表現する)、という役割を担ってきたものといえます。さらに、そもそも言葉・文字で一律的に表現することが難しい、という分野にも絵・記号は活用されています。「禅」の教えを表す絵画のことを「禅画」といいますが、江戸時代の禅僧、仙厓
義梵(せんがい ぎぼん)が描いたその禅画の中には、□△〇 だけを描いたものがあり、その意味することに関しては諸説あるようですが、その説のひとつとして、□が「物事にとらわれた状態」、△が「座禅」をしている状態、○が「悟りを得た」状態を表す、というものがあります。つまり、座禅という行為を通じ、迷いのある(物事にとらわれた)状態から悟りの状態へとたどりつく、といった禅の考え方そのものを表現している、ということです。とらわれた状態、悟りを得た状態、ということを単に言葉・文字で表現するのではなく、このような絵・記号で表現することで、人にその概念をより深く思い浮かべさせる、ということができるようになるわけです。(作者の本当の意図は現在ではまだ不明です。)
我々は、時々、人類最大の叡智ともいえる言葉・文字を明確に用いることこそが適切なコミュニケーションを成立できる、という一種のバイアスに陥っている状況があるのでは、と思ったりもします。あくまでも私見ですが、その代表的な例として、膨大な文(言葉)を学習させ、人と全く同様の会話レベル実現にまで精度を高めていこうとする現行の大規模言語モデル(LLM)開発があるのではないかと。このLLMの大規模化とは一方で膨大な電力需要を加速させていく、といった大きな社会課題を抱えているのも現実です。もし、言葉・文字ではなく、絵・記号といった学習媒体でシンプルに言語モデルを構築していく新たなアルゴリズムに基づく生成AIのようなものができるとすれば、ひょっとすると、今とは違った形での人中心(人の感性中心)のAI活用ビジョンが描けるのかもしれませんね。
一般的にAIが担う領域は「知能」、人が担う領域は「知性」とも呼ばれていますが、我々が担う知性、つまり答えがないことへの対応能力を磨いていくためには、(知性の源ともいわれている)五感をベースとした感覚・感性というものを研ぎ澄ませていく必要があります。そういった観点からみても、絵・記号といった媒体を通じたコミュニケーション、つまり
「あなたならこの絵・記号の意味をどのように考えるのか(捉えるのか)」といった内容は、知性を高めていく行為としても有益なものとなるのかもしれません。みなさんもたまには、「今回の私の見解はこの絵の通りです」といったコミュニケーションもいかがでしょうか(笑)。相手次第によっては、想像以上の理解を示していただき、予想もしえなかった大きな成果につながる、そんなことが生じるケースが出てくるのかもしれません。
ドラッカーが残した名言に「コミュニケーションで最も大切なことは、相手が語らない部分を聞くことである。」というものがあります。人が文字・言葉で表現しにくい本音の部分、そこに、絵・記号といったツールがより効果的に活用していける仕組みが新たに出来上がれば、これまで以上にコミュニケーションの進展が図れる状況が訪れるのかもしれません。70年ぶりのローマ字表記の見直し、という話題を目にした際、改めて、人のコミュニケーションとは奥の深いものだと考え直された次第です。