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Key-Eyeとは?
これからの九州の情報化推進に向け、ひとつの「鍵(Key)」となる、あるいは新たな「視点(Eye)」となる話題を提供していこうとする思いを込め、「Key-Eye」というネーミングにさせていただきました。
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【2023年度執筆者】 東北文化学園大学 工学部長 教授 東北大学 名誉教授 情報通信研究機構(NICT)レジリエントICT研究センターR&Dアドバイザー 鈴木 陽一 氏 2023年度「Key-Eyeあるメッセージ」は鈴木様よりいただくこととなりました。第一回は、情報通信技術の発展における地域特性への配慮、という観点に関し寄稿いただきました。 [記事全文はこちらから] |
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仙北市 総務部 企画政策課 髙橋 康 氏 防災情報プラットフォームを用いたスマートシティ実証事業に取り組んでおられる仙北市様より、事業概要等をご紹介いただきました。 [記事全文はこちらから] |
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「小林 祐司 氏」 大分大学 理工学部長 教授 永年、防災教育へ取り組んでこられた小林様より、これまでの振り返りと、「事前復興」等、今後の防災・減災分野における新たな思いに関し、寄稿いただきました。 [記事全文はこちらから] |
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「濱田 千夏 氏」 特定非営利活動法人 I-DO 理事 ICTを活用し、多様な関係者と連携したNPO法人ならではの新たなモビリティ事業等を推進している濱田様より寄稿いただきました。 [記事全文はこちらから] |
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「株式会社ケーブルメディアワイワイ」 ローカル5Gとアバターロボット等を活用した介護福祉分野における新たな取り組みについて、(株)ケーブルメディアワイワイ様より寄稿いただきました。 [記事全文はこちらから] |
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「第二回九州デジタル推進ワーキンググループ」他3件 [詳細はこちらから] |
「シャドウワーク」という言葉をご存じでしょうか?この言葉は1981年にオーストリアの哲学者イバン・イリチ氏が提唱したもので、専業主婦の家事等といったような、報酬を伴わない様々な仕事を示すものです。そういった意味では通勤時間というのも、シャドウワークのひとつの形態ともいえるようです。さて、昨今のデジタル社会の浸透に際し、このシャドウワークの新たな一面がクローズアップされてきているようです。この点に関し、我々が最もイメージしやすいのが、アプリではないかと思います。「購入したい」「予約したい」「詳細な内容を知りたい」等々、様々な分野における様々なニーズに対応していくため、私たちは日々そこにたどり着くまでの様々なアプリ画面入力対応におわれていないでしょうか。その中には、本来は企業サイドで対応すべき入力項目事項等をユーザーの方の労力に頼っている、というケースも多々あるのかもしれません。また、そういったアプリではなく、組織内の業務システムにおいて、そもそもシステムの設計等がうまくできておらず、入力作業に手間取る、余計な重複処理がある等、既存システムそのものが引き起こすシャドウワークもあるのかもしれません。私自身が体験した例をいえば、とある機器トラブルの関係で、メーカーのAIチャット相談画面で散々やりとりし、そこでは対応できないので改めて〇〇〇に連絡を(あくまでもチャット画面をクリアしないとこの連絡先は出てこない)、ということとなり、またそこで最初から同じやりとりを繰り返す、といったような、いわゆる昨今の相談自動化対応に振り回されたケースもありました。大半はAIチャットでクリアできるはずだから人件費の削減が可能になり、さらに様々なケースデータも効率的に集積できる、という自動化相談対応の導入意図はわかるのですが、費やされた個人の時間とトラブル解消というものは果たして釣り合いがとれるものだったのか、かなり疑問に思ったところです。もちろん、アプリ対応(デジタル対応)とすることで、価格の低減化、サービスの均一化、あるいは来店不要、といった数多くのメリットがあることも理解できます。ただ、大切なことは、普段から我々が「便利さと引き換えに失っているものは本当にないのか」という視点を持つことではないかと思うところです。来店し、実際に自身の五感で商品を感じ、さらに(内容に精通した)店員さんとリアルに話しをすることで、失う便利さより、得られる満足度の方が高い、というケースもあるのかもしれません。
ある意味デジタル社会の目的のひとつは便利さへの究極の追求ということだと思われます。前述した頻繁なアプリ入力への対応、ということも、やがて、他人からは決してアクセスできず、自分自身の要求にのみ対応する高度AI、MyコンシェルジェAIのようなものが出来上がれば、そういったことは全てそのAIにまかせておけば良い(必要情報入力の他、アプリ個々に自動的に高度なパスワードを設定し、定期的に変更等)ので、本人はただサービスを利用することに専念できるようになるでしょう。そういった意味では高度デジタル社会においては、デジタルが産み出すシャドウワークそのものを、さらにデジタルの力で減じていく、ということになるのかもしれません。究極の便利さを提供してくれるAIが前述したようなコンシェルジェ的な存在として、人が生まれたときから身近に存在する場合、人は現実的に「不便」ということを体験することが基本的になくなると思われます。その際、昨今良くいわれる「AIが面倒な作業を処理してくれるので、人は創造的分野に知見を注ぎ込める」ということになるのでしょうか?もし、便利さを解消できればそれで良し、という考え方が中心となったデジタル社会では、便利さの追求がゴールとなってしまい、その先の創造的分野の追求という部分にまで人は上手く到達できなくなるのでは、とふと不安に思うところです。
便利さを得られた中で失われた自身の時間、あるいは便利さを追求していく中で失われていく職業、さらには資源、環境等、デジタルがもたらすあらゆる便利に対し、その実現に向け、何を失い、何を得るのか、といった点を、個人レベルだけでなく、より大きな視野でもって考えていく、換言すれば、大きな視野でもってバランスを整えていく、ということを、社会全体でもっと議論していく必要があるのでは、と思う次第です。そうすることで、単なる便利さを追求するのではなく、多様な価値観を共有する、つまり多様な価値観を産み出す創造的な思考がより深まっていくことにもつながっていくのではないかと。
石川啄木の名言に「必要は最も確実な理想である」というのがあります。彼が言及したかった社会事情とは異なる現在ですが、私自身はこの言葉から、デジタルを社会経済の効率性向上という観点だけで論じていくのではなく、そもそも社会経済全体の豊かさとは何なのか、という観点をきちんと描いていくことが今こそ大切である、というメッセージが聞こえてくる気がします。みなさんの日々はいかがでしょうか。デジタルがもたらすシャドウワークに対する便利(価値)をきちんと得られているでしょうか、そしてその便利とは、自身のシャドウワークだけが犠牲となっているのか、それとも社会全体から見ると、どういうことが失われ、あるいは得られているのか、一度振り返っていただくことも良いのかも、と思う次第です。